大川運輸株式会社

取締役社長  大川光夫(写真右)

鹿島臨海工業地帯の物流を担い、地域経済の発展と雇用確保に大きく貢献してきた『豊かな未来を運ぶ』実運送専業企業

国内外の歴史上、市の形成や工業化社会の登場など産業経済の発展過程において、物流がその仲立ちとして大きな役割を果たしてきました。今回は鹿島臨海工業地帯の開発を物流面で支え、地域経済の発展と雇用確保に大きく貢献してきた企業を紹介します。トラックがほとんど走っていない時代から実運送専業企業として創業80有余年。『豊かな未来を運ぶ』ことを基本理念に、人を財産として事業を拡大する大川運輸株式会社(本社:鹿嶋市)の大川社長に、会社の設立経緯、事業内容、特色、今後の展望についてお聞きしました。また、今回のインタビューには大川博行副社長にも、お話に加わっていただきました。

聞き手 弊社社長 鈴木祥順

父親が祖父の事業である養蚕の蚕を運んだのが運送業参入のきっかけ。4兄弟の息子がドライバーとして家業に関わる。

会社の創業・設立の経緯についてお聞かせください。

大川社長
鹿島町(現鹿嶋市)の養蚕業を発展させた功労者の一人と言われた祖父の大川小四郎が、私の父である三男の大川三郎に蚕を運ばせたのが運送業参入のきっかけと聞いています。三郎は昭和10年に大川運輸を創業しました。
その後、父は支那事変の際に、トラック部隊として出征した後、太平洋戦争中には、鹿嶋近隣の運送業者を先導し、鹿行地域の物流の礎を築きました。戦後は芋やタバコ、でんぷん、海産物などの荷物を運ぶようになりましたが、私たち兄弟は皆、子供の頃からトラックが好きで、積荷を手伝うこともありました。その結果、長男功(現大川運輸(株)会長)をはじめ、三男の私を含めた4兄弟がそれぞれドライバーとして家業に携わるようになったのです。
鹿島臨海工業地帯の開発は、昭和36年に始まりましたが、私どもは進出企業の物流に大きく関わるようになり、昭和44年、法人である大川運輸(株)を設立、その後増資を重ね、現在に至っています。

子供の頃の思い出として何か記憶に残っていることはありますか。

大川 光夫社長
大川社長
戦時中に限らず、戦争の前後にも、運送事業の統合や解体があり、事業の維持が大変な時代があったと聞いています。私たち兄弟には、父親が一時材木屋をやっていて、材木などを運んでいたという記憶があります。また、小中学校の頃には、砂浜での映画撮影のため、ウチの車を借りに来たのを覚えています。
私が物心ついた頃は、すでにトラックに助手が必要な時代になっていました。運転手だけでなく助手がいて、助手が積み下ろしを手伝いながら、1台の車に最低でも2人乗って運行していました。私は住み込みの従業員の人たちと一緒に寝起きして、食事も一緒にとっていました。中学から高校に入る頃には、たまに助手が休んだりすると、荷積みの仕事をよく手伝わされました。私は車が好きでしたし、夏休みに助手として車に乗って、遠くまで行けるのが楽しみでもありました。

鹿島臨海工業地帯の開発で大活躍。幅広い分野の積荷を扱い、いち早くトレーラを導入して、人手不足と大量輸送を補う。

御社が大きな飛躍を遂げたのは、やはり鹿島開発ということになるのでしょうか。

大川社長
鹿島開発が一番大きかったと思います。それまでは通年で運送の仕事があったわけではなく、地元の農産物輸送の仕事がないときは、車を持って出稼ぎに行っていました。例えば、千葉県銚子の魚を積んで東京の市場に行ったり、名古屋や大阪に行ったりしました。家業の手伝いは兄たちも皆やっていました。
私は昭和41年に高校を卒業したのち、一時運送業ではない外部の会社に就職しました。初任給は月1万7千円ぐらいで、上司の課長でも月給は5万円ぐらいでした。ところが、この頃は鹿島開発が進み、好景気で人手不足による人の取り合いが激しく、大川運輸では既に運転手に月5万円、助手でも月3万円の給料を支払っていました。両親は年齢による衰えもあり、私に早く家業に戻ってきてほしい様子でしたので、結局1年弱で家に戻り、家業に励むことにしました。
鹿島開発では、最初はクレーン付の車で港湾の建設材料を運んでいましたが、その後はガスローリーで高圧ガスを運ぶ仕事がメインになりました。私どもでは、それまで平積みトラックしかなく、手積み、手下ろしの仕事が多く、仕事はかなりきつかったと思います。私はほとんどクレーン車に乗っていましたが、従業員の定着率があまり良くなかったので、鹿島開発の一期工事が終了して以降は、従業員の定着率向上を狙って、手積み、手下ろしの仕事がないガスローリーの仕事にも力を入れるようになりました。

鹿島開発が一段落して以降も、事業は順調に拡大しましたか。

大川社長
鹿島臨海工業地帯では、最初に鉄や化学品エリアの工場操業が始まり、その後、外壁建材関係、食品関係などの工場の操業が続きました。私どもは、開発の進捗に伴い、幅広い分野の積荷を取り扱ってきましたが、それぞれの時代状況に応じた様々な効率化にも取り組んできました。
例え人手不足であろうとも、常に荷物を大量に運ばなければなりませんでしたので、いち早くトレーラ化に取り組みました。タンクローリーをトレーラ化しましたし、パレットものもトレーラ化しました。現在は65%以上、トレーラ化が進んでおります。特に積載量増加の法改正があった平成5年以降、急激にトレーラ化が進みました。
当社は創業以来、倉庫や作業員を持たずに、輸送一本で事業を展開してきました。総合的な物流業というと、倉庫業などを合わせてやった方がいいのでは?とよく言われるのですが、それぞれに得意とする分野があります。
私は2代目社長だった長男功(現大川運輸(株)会長)の後を継いで、平成26年に3代目社長に就任しましたが、輸送のみに特化して事業を築き上げてきた当社の歴史を踏まえ、これからもずっと同じ分野でやっていきたいと思っております。

景気低迷の時期に事業基盤を固め、荷主さんとの信頼関係を構築。産業廃棄物収集運搬事業も行う。

競争が激しい業界ですから、バブル崩壊やリーマンショックなど、景気変動に左右されることが多かったのではないでしょうか。

大川社長
積荷の動きで景気の波はわかるのですが、私どもは景気が悪くなったときにむしろ事業基盤を固めてきました。
景気が悪くなっても、当社では従業員は確保しつつ、車を新たに購入して景気回復に備えました。仕事量が減ったときに、いかに我慢できるかが問題です。景気が良くなったときに、あわてて新車を注文しても、メーカーは予約が一杯で、納車が1年先となることも決して珍しくはありません。景気回復による仕事の増加に対応できるよう、財テクなどには走らず、仕事が忙しいときにはできないことを、地道に準備してやってきたことが良かったと思っています。
そうした方針がうまくいったのも、一言でいえば、荷主さんに恵まれたということに尽きるものと思います。その訳は、一つには荷主さんとの信頼関係を築けてきたこと、また大手企業の荷主さんが多く、経営を圧迫するような貸倒れがほとんどなかったことが挙げられると思います。そのため、着実な先行投資による増車が可能になりました。
また、新しい輸送分野へ積極的にチャレンジして、いろいろな業種の荷主さんと取引させていただいたことが本当に良かったと思っています。全体的な景気が悪くなっても、景気低迷に強い業種、例えば食品関係の輸送の仕事などがあり、急激に売上を落とすことなく、バランスが取れた仕事ができたことが大きかったと思います。それから、知人の勧めもあって進出した産業廃棄物収集運搬事業についても、事業の奥行が広がったように思います。
大川副社長
景気が悪くなっても、ドライバーの雇用は確保するというのが当社の方針です。全体の景気が低迷したときは、国の助成金制度などを活用しましたが、「苦しいときこそ、皆で支え合って次の春を迎えようじゃないか」ということを合言葉に皆で頑張って乗り切りました。

30年以上の永年勤続者25名。子供の夢を広げる運送事業の誇りを持ち、安全運行に努める。

人材確保が厳しい時代も乗り越えてこられたわけですが、業界では今また人材難が大きな問題になっています。御社の状況はいかがでしょうか。

大川社長
4月初めに社内の永年勤続表彰(10年、20年、30年)を行いました。永年勤続10年が22名、20年が7名、30年以上が25名もいまして、総勢54名の表彰式となりました。これらの人たちが私どもの大きな財産だと思っています。従業員がこれだけ定着してくれて頑張ってくれている。本当に私どもの誇りだと思います。
大川 博行副社長
大川副社長
現在、親子で働いている従業員も何人かいますし、2代続けてドライバーになっている従業員もいます。また兄弟でドライバーになっている従業員もいます。
大川社長
朝、自宅近くの散歩を始めて3年目に入ったのですが、先日公園でトレーニングをしているよく知っている方から、「実はお願いしたいことがあるのですが?」と声を掛けられました。「ウチの孫が大きくなったら、お宅の会社へ入りたいと言っているんだ。」とのことです。「どこに住んでいるの?」と聞くと、今11歳でつくばの方に住んでいるということで、おじいさんにあたる鹿島のその方のところに遊びに来た際、私どもの車庫によく車を見に来ていたとのことでした。ちょうど、それが永年勤続表彰式の翌週だったので、「ああ、この仕事をやっていて本当に良かったなあ。」としみじみ思いました。

頼もしくありがたいお話ですね。大川運輸さんのトラックはあちこちで活躍しているのを見かけることが多いでしょうから。

大川社長
私どもと何かしらの関係がある人でないと、私どものトラックは目の前を通り過ぎる1台の車に過ぎません。恐らく気がつかないと思います。しかし、私どもと関係ができて私どもの車に関心を持つようになると、「今日も見た」「あそこで見た」という話になります。首都圏で東京ナンバーが途切れた後に当社の茨城ナンバーの車をみると、ホッとするとよく言われます。安全会議でもドライバーによく話をするのですが、「多くの方々が当社に親しんでくれて、友好的に思ってくれているのだから、それを裏切らないように安全運行に努めてください。」という話をしています。そして、「誇りを持ちなさい。もう十分歴史を重ねてきた会社だし、次の人に良い伝統をバトンタッチするのもあなたたちの使命ですよ。」と話しています。

運送事業についての理解を深めてもらう努力とともに、運輸安全マネジメントによる効率化を推進。

許認可や規制が多い業種で、対応していくのが大変なところもあると思いますが、どのようなことをされているのでしょうか。

大川社長
私どもの仕事は世間一般にまだ正しく認識されていないところがあります。荷主さんによっては、品物を運ぶために車を頼むと、当たり前にドライバーが付いてくるという認識がまだあります。そのため、平気で時間を待たされたり、ドライバーが雑な扱いを受けることが時々見受けられるのです。私どもとしては、運送業についてもっと理解していただく努力が必要だと感じています。
最近ネットの通信販売などで、配送コストの問題がクローズアップされましたが、配達の繰り返し以外にも、いろいろ問題が発生しています。例えば、運送業では必ず積み込みと積み下ろしがありますが、得てして同じ時間帯に他社の作業と重なって待たされることがあります。そうなると、忙しいときは、時間がタイトになってきてしまい、ドライバーに負担がかかってしまうことがあるわけです。
その他、積載重量の規制や高速道路の車両制限などもありますので、そうしたことを一つひとつクリアしながら改善していかなければなりません。うまくいかないことにこだわって立ち止まるのではなく、できることをしっかりやっていく努力が一番大事だと従業員に話しています。保有車両台数300以上の会社に義務付けられる運輸安全マネジメントについても、当社では当初から導入していますが、効率を上げるためのシステムと認識し、従業員にもそれを活かしていくよう勧めています。

車両保有台数1,000台超、年間輸送走行距離は4,000万キロ。安全対策としてデジタコを導入するとともに、ソーラー付き車も購入。

トラックを相当数保有されていますが、全部でどのくらい保有されているのでしょうか。

大川社長
車両保有台数は、全部で1,052台です。トラックとトラクター、牽引車と被牽引車とは別々に車両ナンバーが出ますので、各々1台と換算されます。トレーラも鋼材用、粉粒体運搬用、硝子運搬用、食品タンク、化学品タンクなど様々ありますし、ダンプや荷積み部分が横に開くウィング車など業種により様々な車両を保有しています。
エンジンが付いている部分のトレーラで304台、ローリーで約100台保有しています。ドライバーは現在全部で456名、内女性ドライバーが1名おります。また、平成28年度一年間の輸送走行距離は約4,000万キロになっています。

御社は安全対策や環境保全にも力を入れていると伺っておりますが、どういうことをされているのでしょうか。

大川社長
運輸安全マネジメント活動の中でPDCAサイクルをもとに、安全最優先の意識を浸透させています。月1回の安全会議では、問題に対する改善事項の話とか、エコドライブの方法など年間スケジュールを立ててテーマを設定し、研修を実施しています。時には外部講師の方にも依頼しております。
また、独立行政法人自動車事故対策機構のシステムサービスであるドライバーの適性診断を定期的に受けさせるとともに、クラウド型のデジタコ(※1)とドライブレコーダー(※2)を導入し、ドライバーの運行管理を行っております。国土交通省の指導により、タコグラフの装着義務が課せられる事業用トラックの範囲が拡大しておりますが、当社の導入率は現在約80%に達しています。車の買い替えの都度、新しい車には順次デジタコを導入しております。また、ドライブレコーダーは、当初ドライバーも管理されているようで、抵抗があったようですが、安全運転で大切な荷物を運ぶことが私どもの使命ですし、現在ドライバーの理解は進んでいます。ドライバーの運行状況がリアルに把握できるので、適切な指示も可能ですし、パソコン画面を通して、運行記録が明らかになりますので、私どもの仕事を荷主さんに理解していただくことにも効果的に活用していきたいと思います。

また、私どもの仕事の関係ではCO2削減が環境保全の大きなテーマになっています。燃費のいい車の購入はもちろんですが、駐車場や遊休地にはソーラーパネルを設置し、クリーンエネルギーの利用を推進しています。昨年はエンジンを切っても、クーラー使用が可能となるよう屋根にソーラーが付いたウイング車を購入しました。

  • 1 デジタコ:デジタルタコグラフのこと。自動車運転時の速度・走行時間・走行距離などの情報をメモリーカード等に記録するデジタル式の運行記録計。
  • 2 ドライブレコーダー:車の走行中、車両に大きな衝撃(事故など)が加わった直前・直後のデータや状況等を映像で記録する車載カメラ装置。
ソーラーパネル/ソーラー付ウイング車/活躍する大川運輸(株)トレーラ

ドライバーが働きやすい環境を提供し、多数の外車を導入。人間味のある真心のこもった輸送を荷主さんに提供していく。

御社の強みはどういうところにあるのでしょうか。

大川社長
人間味のある真心のこもった輸送を荷主さんに提供していることだと思います。当社はほとんどが自前の車で自ら運転する自車運行ですが、業界では意外と珍しい業態になります。物流会社の傘下に入ってその仕事を請け負う形が多いのがこの業界の特徴だからです。当社のように、運送のみに特化した実運送で、相応の台数の車と車種を持って運送事業を行っている会社は日本全体でも数少ないのではないでしょうか。
創業者である大川三郎の言葉ですが、「自分たちにできない仕事を安い金額で下請に任せたら、その下請の運転手が可哀そうだし、気持ちの負担になるから、それはするなよ。」と言っていました。
当社のドライバーは、様々な仕事を経験したうえで入社した者が多いのですが、私どもの方針をよく理解し、皆と協力できる人を採用しています。そして経営者である私どもはドライバーが気持ちよく働きやすいように、他人が羨む車、欲しがる車、乗りたい車、そして安全な車を常に提供したいと考えています。一番安い車で、修理しながら長く乗るという考えは私どもには全くありません。ですから、ドライバーには実績が付いてきて、乗りたい車があればリクエストにも応えます、と話しています。当社の方針は、「1台のトラックを複数ではなく、一人のドライバーが使用する。」こととしておりますので、ドライバーも自分が運転する車にはより愛着がわくようです。

外車のトラックも多数保有されていると伺っておりますが、導入のきっかけもそうしたところからですか。

大川社長
最初は良い人材を集めるためのリクルートが大きな目的でした。トップドライバーに最初に外車のトラックに乗ってもらいました。それを見て自分もそうした車に乗りたいと励みに思って皆が頑張るようになり、優秀なドライバーが徐々に育っていきました。外車のトラックはベンツとボルボが多いのですが、これまで延べ250台くらい導入したかと思います。現在動いている車だけでも150台くらいあるのではないでしょうか。ベンツの国内商用車の何%かは当社で運行していると思います。エアサスペンションがついているのはもちろんですが、オートマチックのギアがセミオートマを含め、現在8割以上に上っています。

社会に対して『豊かな未来を運ぶ』の理念のもと、圏央道沿線に営業所を開設。

御社の経営理念ならびに従業員に日頃声を掛けられていることがあれば、お聞かせください。

大川社長
私が30歳の頃、会社のパンフレットを作ろうというときに、社会に対して『豊かな未来を運ぶ』という理念が生まれました。私の母親がよく言っていたのですが、運送屋はいつの時代も廃れないし、一所懸命努力すれば家も持てるようになる、と。
私どものような業界は、やはり結果がすべてです。手を抜かないで真心をこめて仕事をすれば、自ずと結果がついてくるのだから、要は自分との闘いなのです。車を運転しているときは、一人の世界になりますし、手を抜こうと思えば手を抜けるからです。
私どもの仕事は決して楽な仕事ではありません。私たち兄弟は皆ドライバーをやっていたので、ドライバーの気持ちもよくわかります。しかし、大変な仕事だからこそ、私どもに荷主さんが仕事を任せてくれるのです。それを忘れずにドライバーをはじめ従業員皆が頑張ってくれることが私どもの願いです。
大川副社長
従業員を大切にするのが当社の基本です。社長が言ったとおり、ドライバーは、自制心と自律心が強く求められる仕事です。出発したら、ドライバーは一人きりですし、自分で考えて行動しなければならないことが出てきます。それをバックアップするのが私たちを含めた管理職の仕事だと思っております。

今年の夏、江戸崎営業所がオープン予定と伺っておりますが、今後の展開についてお聞かせください。

鈴木 祥順 社長
大川社長
江戸崎営業所は従来の営業所を工業団地へ移転し、再オープンの予定です。10数年前から、圏央道の延伸に合わせ、江戸崎、坂東、成田と営業所を開設してきました。地元鹿嶋は東側が海なので、トラック需要の広がりは西側だけになります。そのため、新しい荷主さんとの出会いを求めて圏央道沿線に営業所を開設しました。運送業は片道では商売になりません。帰り道に荷物があって初めて物流が活性化するわけですから、今後も人と人との繋がりを大切にし、顧客満足を追求していこうと思います。

取材を終えて

トラックが希少な輸送手段であった昭和初期に鹿島地区で輸送業を始めた大川三郎氏は、戦中戦後にわたり地域物流の基盤固めに奔走し、やがて鹿島開発が始まると、進出企業の物流を担って事業は大きく拡大の時を迎えました。子息の大川功氏、大川光夫氏に事業が引き継がれる中、事業基盤を着々と拡張、さらに強固なものとして、現在では保有車両1千台を超える全国有数の実運送専業企業へと躍進を遂げました。

多くの業種、また広域的に多数の荷主さんを抱える中、様々な用途に対応できる車両を整備し、下請けに依らず責任を持って運送に邁進する当社の実運送の事業形態こそ、永年にわたり荷主さんの大きな信頼を勝ち得て、競争の激しい輸送業界を生き抜いてきた原動力であったと言えます。

大川社長自ら運転現場で叩き上げられたご経験のお話からも、運送に徹することの誇りと信念が熱く伝わりました。その想いは、まずドライバーを中心に据えた人材重視の大川運輸(株)の事業運営に端的に表れています。

1台のトラック毎の専属ドライバー制や、運行の安全性とドライバーの快適性確保のため積極的に外車を導入するなどドライバー本位の取組を推進し、ドライバーの仕事の誇りと愛社精神をしっかり育んでいます。

ドライバーの辛さと厳しさ、そして楽しさをすべて理解している大川社長ならではの想いが従業員の共感を呼び、多くの永年勤続者を生み親子兄弟で勤務するドライバーもいるほどに従業員の定着率を高め、意識の向上に繋がっているように感じられました。

創業80年を経て、大川社長の下、人と人との繋がりを大切して実運送にかけた創業者の理念を守り続けながら、大川副社長はじめ次世代を担う若手社員が飛躍する準備も怠りなく、当社が今後も長く地域物流の根幹を担っていくことが確信された取材でした。

鈴木 記

会社概要

本社

大川運輸 株式会社
取締役社長 大川 光夫

本  社
〒314-0031 茨城県鹿嶋市宮中2-4-13
電  話
0299-82-1534(代)
本社営業所
〒314-0031 茨城県鹿嶋市宮中4625-3
電  話
0299-82-4555
創  業
昭和10年
株式会社設立
昭和44年
資 本 金
6,000万円
業  種
運送業
従業員数
約600名

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