株式会社せき

代表取締役 関 孝範

安全な食材を提供して100有余年、健康で笑顔が絶えない毎日の生活を送るために、野菜と花き事業を中心に世の中に貢献し続ける企業

男女共同参画社会を目指す日本において、女性の社会進出によって共働き世帯が当たり前となり、夫婦の家事分担などによる女性の家事負担の軽減が叫ばれてきました。飲食店などの業務用のほか、各家庭においても、台所における調理時間の短縮とバラエティ豊かな料理の提供のために、カット野菜をはじめ、キット野菜やボイル野菜、それから長期保存が可能な冷凍野菜の需要がますます高まっています。農産物の生産から加工・出荷までの一貫管理体制により、食の安全を確保し、食卓に笑顔を届け続けている株式会社せき(本社:茨城県ひたちなか市)の関社長に、会社の設立経緯、事業内容、特色、今後の展望についてお聞きしました。

聞き手 弊社社長 茅根務

祖父の創業後、店を切り盛りしていた祖母を助けて、父親は野菜の卸売を始める。タマネギの生産農家から直接納入。

会社の創業・設立の経緯についてお聞かせください。

創業は明治42年です。会社設立は昭和52年でした。祖父の関豊三郎が「八百豊商店」という八百屋を始めたのが創業となります。祖父母には9人の子供がいましたが、八百屋だけではなかなか生活が成り立たず、祖父は店と子育てを祖母(まつ)に任せて、東京へ出て働いていました。祖母は店の看板を守りながら、細々と八百屋を経営し、私の父をはじめ、9人の子供たちを育てあげました。それはとても大変なことだったと思います。

その後、お父さまが跡を継がれたと伺っていますが、学校を終えてすぐ会社に入られたのでしょうか。

父は昔の旧制中学を卒業してから、祖父のように東京へ出て行きました。そして食品会社に就職しましたが、修業というより働いて稼がないと、現実的に食べていくのが大変な状況だったようです。
長い間、祖母が店を切り盛りして父が戻ってきたのは27歳頃だったと聞いています。父は昭和29年に戻ってきて、すぐに祖母の八百屋の手伝いを始めました。弟たちの中には、まだ高校に通っていた者もいましたので、父は弟たちを食べさせるために、親代わりの立場で働いていたようです。

野菜の卸売を始めた時はどういう状況でしたか。

父が戻ってきてから、産地から直接納入する産直ネットを始めました。野菜の卸売を始めたのは昭和32年以降です。父が栃木県のタマネギ生産農家に委託して始めました。
タマネギの市況はその当時良くなかったので、農協へ手数料と運賃を支払って出荷すると、赤字が出てしまう価格水準でした。そこで直接、生産農家に委託栽培をお願いしたわけです。1軒の生産農家がどんどん仲間の方を紹介してくれまして、最終的には、25軒のタマネギ生産農家から現金買いを行い、直接納入していました。

中学2年で家業を継承することを決意。東京築地での修業後、父を支えて家業に邁進。現社長は4代目。

関社長は初めから家業を引継ぐ気持ちでしたか。

小さい時から、父からは、大学へ行って銀行員や公務員になるなら国立大でないとダメと言われていました。その一方で、中学校までやっていた野球を続けたいなら、地元の高校でいいのではないか、とも言われました。
私は野球を続けたかったので、高校を卒業したら家の仕事をするからと言って、高校へ行っても野球を続けさせてもらいました。私が中学2年生の秋頃には、既に父と一緒に家業をやることに決めていました。

学校を出てすぐお父さまと一緒に仕事を始められたのですか。

いいえ。高校を出てすぐ東京の築地の青果市場に4年間修業に行きました。昭和50年から昭和54年までです。丁度大学に行ったのと同じ期間、東京で修業したことになります。その間、私の弟が昭和52年から父の手伝いをしていました。家業を法人成りしたのも、丁度その頃です。私が家業に戻ってくると、今度は私と交替で弟が築地市場に修業に出て行きました。

関社長は何代目の社長に当たるのでしょうか。

祖父、祖母、父、そして、私という順番で、私は4代目に当たります。

タマネギから野菜の加工販売を開始。その後、ジャガイモや人参など、取扱う野菜が広がるとともに、カット野菜にも進出。

野菜加工を始めたのはどういうきっかけだったのでしょうか。

関 孝範 社長
タマネギの取扱量が多かったので、いつもたくさんウチの倉庫にありました。売れ残った時、袋詰めの袋を覗いてみると、時々一部傷んだものが出てくるのですが、タマネギはご承知のように、表面が少し傷んでいても他の部分は何でもなくて問題なく食べられます。それで、タマネギの傷んだ部分を除去し、皮をむいて近くの店に持っていくと大変喜ばれ、結構天ぷらの具材になったようです。
それが口コミで食材屋さんの間で評判になり、その後、野菜加工に本格的に進出するきっかけになりました。扱う野菜もタマネギから他の野菜に広がって、むいた野菜を大きな工場でも使ってくれるようになりました。

加工事業は最初から順調でしたか。

本格的に加工事業をやる前は学校給食用の野菜販売もしていました。学校給食関係は入札制でして、7か所の給食事業所の入札に参加していました。昭和56年、私が24歳の頃です。入札競争は激しくて、赤字で納品することもありました。なかなか事業が安定せず、本当に悩みました。
それで出した結論は、野菜加工をもっと本格的にやっていこうということでした。野菜加工の取扱いは昭和58年頃からです。現在はスーパーマーケットに、カット野菜が当たり前のように並んでいる時代です。当時、私のところでは、野菜加工といってもタマネギの皮を剥ぐ「むきタマ」だけでした。丁度ジャガイモが不作の年でして、何とか販売用のジャガイモを確保したところに、当社がまとめて買い付けたことを聞きつけた大手食品加工会社から連絡が入り、ジャガイモを譲ってくれないか、という申出がありました。その食品加工会社は原料確保に苦労していたようで、結局、当社から融通しましたが、その件があったことをきっかけに、タマネギとは別に、ジャガイモも加工して販売するようになったのです。
その後は、人参などにも手を広げました。初めは加工といっても、ただ皮をむいただけでしたが、その後野菜をカットして販売するようになり、今で言うカット野菜販売をメインにするようになったのです。
野菜のカット・包装作業/かぼちゃの包装作業/ほうれん草の洗浄作業

早くから契約農家と直接取引開始。カット野菜のほか、ボイルや冷凍加工の取扱いも開始。埼玉と北海道へ工場進出。

契約農家から直接入荷を始めたのは早かったのでしょうか。

農家との直接のおつきあいは古くからありました。契約栽培という形で納入野菜を確保するようになったのも早かったと思います。同業者が皆、青果市場で仕入れていた時代に、私は産地に出向いて、直接、農家の方と契約し野菜の入荷を始めました。市場動向に日々左右されずに安定的に野菜を仕入れるためです。大手食品加工会社への納入は、量の確保と価格の安定が絶対条件になりますので、契約農家との直接取引は必要なことだったと思います。

野菜加工は現在、チルド加工野菜、冷凍加工野菜なども扱っていますが、事業はどのように広がっていったのでしょうか。

加工を始めた最初の頃は、業務用の「むきタマネギ」や「むきジャガイモ」が加工の80%ぐらい占めていたと思います。加工と言っても皮をむいただけでしたので、利益も低かったです。それでも、老朽化した工場で皮むき作業を始めた時はまだよかったのですが、新しく現在の工場を作って同じことをやっていたら赤字になってしまいました。それで、皮をむくだけの加工は子会社を設立してそこに任せたり、協力会社にもお願いしながら、当社ではもっと付加価値の高い加工をやろうということにしました。野菜をカットしたり、ジャガイモをボイルするようなことですが、冷凍加工野菜の取扱いを始めたのも、その延長線上にありました。

埼玉や北海道に野菜加工工場をお持ちですが、どういう理由があるのですか。

縁があったということですが、埼玉の場合は首都圏にあり大消費地にも近いということです。北海道の場合は何と言っても、タマネギやジャガイモの産地に近く、北海道に根を張ってやっていきたいという想いでした。

パート社員を含め、400名以上の社員が活躍。一つの業態に片寄らない販売方針。

御社の社員はパートさんを含め、400名以上いらっしゃると伺っています。やはり工場の現場の方が多いのでしょうか。

当社は8割以上がパートさんです。主に、一次加工の業務に携わっていただいています。労働集約的な業務が多く、粗利益率も低くなってしまうので、どうしてもパートさんに頼るところが大きくなってしまいます。また、営業の社員も10名くらいおりますが、皆頑張ってくれています。

カット野菜の販売先には、スーパーマーケットや食品メーカー、外食産業など、様々な業態があるかと思いますが、どういう業態が多いのでしょうか。

なるべく一つの業態に片寄らないようにしたいと思っています。しかしながら、年毎に見ると、どうしても多少のデコボコはあります。現在はコンビニのベンダー工場向けが約3割で一番多いかと思います。その前は、加工食品工場向けが一番売上割合が多い時期もありました。コンビニに並ぶ商品は弁当の具材やレトルトパックの野菜、パンの具材などです。

「食の安全」と契約農家との末永い親密関係維持のために、野菜生産履歴のデータを活用。社長自ら生産者との信頼関係を築く。

野菜生産履歴のデータベース化を行っていると伺っています。どのようなものでしょうか。

茅根 務 社長
「食の安全」は消費者の方からも厳しく監視されている時代です。野菜の成育データをしっかり管理されている業者の方はこれまでもいらっしゃったかと思います。ただ、何の農薬を何月何日に撒いたというような実施記録が中心だったのではないでしょうか。当社の場合は契約農家のこれまでの栽培実績や土づくり、それから栽培における考え方なども、データベース化しました。契約農家さんの家族構成等を知るだけでなく、親密な関係を末永く続けていくために始まったものです。
今後も、わかりやすさを追求すると同時に、当社としてのオリジナリティを高めて、契約農家一軒一軒と深耕が更に図れるような仕組みづくりを考えています。そのために、私も必ず産地に行って直接生産者の方々とお会いするようにしています。野菜作りも愛情をかけるほど、その生産者の想いが成育した野菜にも反映してくると思っています。そして、私たちが心を込めて加工しお客さまにご提供することによってはじめて、お客さまにもご納得いただけるものと考えています。

花き事業は平成11年から開始。花束やフラワーアレンジメントの切り花が多いが、鉢物や苗物も従来以上に注力していく。

花き事業についてお伺いします。花きの取扱いはいつ頃からでしょうか。また、どういう販売先が多いのでしょうか。

平成11年、石岡営業所内に花きセンターを作り、稼働を開始しました。現在では、野菜加工事業と野菜調達の原料事業に加え、3つ目の柱に成長しました。
最初は花の等級が花びらの大きさではなく、丈の長さによって、2L、L、M、Sという等級があるということも知らず、全く素人同然で始めました。そのため、花き部門は苦労が絶えませんでしたが、現在は大手スーパーマーケットやDIYなどにも納入できるようになりました。当社では、花き市場から農協を通して花きを仕入れて出荷していますが、丈の短いMとかSは2LやLと比べて仕入価格も低くなっています。

花きの種類はやはり切り花が多いのでしょうか。

市場から仕入れた花きを、花束やフラワーアレンジメントに加工して販売することが多く、現状では切り花が多いのですが、鉢物や苗物も取扱っています。
茨城県は、実は苗物の栽培が盛んな県です。切り花は海外からたくさん入ってきているのですが、鉢物や苗物も今後は従来以上に力を入れていきたいと考えています。

茨城県産の栗のブランド化のため、新たな柱づくりとして栗の加工事業に進出。

第1回めぶきビジネスアワードの奨励賞を受賞された栗の事業についてお聞かせください。

まだ緒についたばかりですが、「(株)せきだったら、これだ!」というものを新たに作りたくて検討していました。その一つとして始まったのが今回の栗の事業です。
ある方から提案を受けまして、栗の加工事業にチャレンジすることになりました。栗の生産高が全国1位の茨城県なのに、栗の加工業者が非常に少ない現状にあります。私は地元特産品の茨城県の栗をブランド化して効率よく加工し、付加価値商品として全国に発信していきたいと思っています。石岡の冷凍工場にペースト加工できる設備が既にありますので、それを野菜だけでなく栗の事業にもそのまま活用していきたいと考えています。そして、結果として、それが地方創生に繋がり、雇用拡大を生む事業に育てていければと思っています。

野菜も花きもバランスの良い販売方針を守り、小さな事も怠らずにコツコツ積み上げて労を惜しまぬ経営を貫く。

事業経営にあたり、先代社長のお父さまから受け継がれたことはどういうことでしょうか。

いろいろあります。先程、販売先の業態のところでも少しだけ触れましたが、売上は1社だけに集中しないで30%ぐらいずつ分散して片寄らないのが理想だと父から教えられました。父が修業時代に修業先の社長さんから教えられたようで、私にもいつも言っていました。
ですから、当社ではタマネギのほかジャガイモや人参など様々な種類の野菜を取扱っていますが、いろいろなお客さまとお取引し、売上が1社だけに片寄らないようにしています。花きの取扱いを始めたのも、そのことが常に頭の中にあったからです。

社長の名刺のお名前の前に『積小為大』という言葉が入っていますが、社長が日頃大切にされている言葉でしょうか。

ご存知のように、この言葉は江戸時代末期に二宮尊徳(金次郎)が言った言葉です。「大きな事を成し遂げたいと思ったら、小さな事も怠らずに積み重ねること、それがあって初めて物事は達成できるものである。」ということです。小さな事の積み重ねがないと大きな事も達成できないし、「平凡な事でも非凡に積み重ねる」ことこそが大事だということです。
二宮尊徳は薪を背負いながら書物を読んでいるイメージが強いと思いますが、荒地を農業により復興させた偉人としても有名です。農業に関わる当社としても、『積小為大』の言葉は決して忘れてはいけない言葉だと思っています。

御社の経営方針についてお聞かせください。

ひと言で言うと、人を大事にする会社です。農産物の仕入れ先である農家を大切にするのはもちろんですが、販売先や流通に関わるすべての人たちを大事にしなければなりません。そして、地元の人が(株)せきで是非働きたいと思われるような会社にしたいと考えています。また、父の教えで口癖のように言っていた言葉に、『労を惜しむな』という言葉があります。相手のために、もっと汗をかけということです。またそれが、『積小為大』にも繋がってくることだろうと思っています。

各工場を拠点に事業拡大を検討。同業者をリードしながら、生産者と手を携えて共に発展していく。

今後の展望についてお聞かせください。

現在ある2つの埼玉工場、石岡工場、それに北海道工場を其々一つの拠点として事業を広げていきたいと考えています。埼玉工場は大手食品メーカーや大学生協向けが多い状況です。また石岡には、花きや野菜の倉庫があり、冷凍工場も稼働しています。
既に取組みが始まった栗の事業については40トンの製造能力がありますが、当初は10トンくらいから商品化していきたいと考えています。
北海道工場は、冷凍設備も拡充させており、従来の野菜加工に加え、アスパラやブロッコリーなど、北海道産品の冷凍加工(ペースト)にも力を入れております。
野菜の一次加工については、当社が全国でもリードする立場になってきました。他県の同業者の方からもいろいろなご相談を受けるようになったので、生産者と私たち納入者が共に手を携えて発展できるように考えていかなければいけないと思っています。

取材を終えて

八百屋を出発点としながら、小売から卸売に転換し、現在は4代にわたる事業継承の中で、関社長は農産物の生産から加工・出荷までの一貫管理体制を整備してきました。関社長は、創業後の家業時代のお祖母さまとお父さまの苦労話について淡々と語っておられましたが、100有余年にわたって事業を守り通し、徐々に事業を拡大してきたその道のりが、並大抵の苦労ではなかったことは想像に難くありません。

今でこそ当たり前のようにスーパーマーケットの店頭に並ぶカット野菜やキット野菜などの野菜加工分野への進出も、世の中に受け入れられるかどうか慎重に判断し、契約農家やお客さまとの親密な関係を築いたうえでの堅実な対応でした。関社長は直接生産者へ自ら足を運び、野菜作りの愛情の注ぎ方や考え方を確認したり、野菜栽培の土づくりのデータベース化を進めるなど、食の安全を確保し食卓に笑顔を届けるための努力は、お父さまの教え通り、労を惜しまずに実行してきました。

栗の生産高が全国1位ながら、認知度不足の現状から、(株)せきが新規事業として取り組む栗のブランド化は、茨城県の魅力度向上に繋がるものと期待されています。関社長からお話があった「小さな事の積み重ね」は、栗の事業でもそのノウハウが活かされ、粘り強く茨城県の特産品にしていこうという関社長の強い決意が感じられた取材でした。

茅根 記

会社概要

本社

株式会社 せき
代表取締役 関 孝範

本  社
〒311-1203 茨城県ひたちなか市平磯町18
電  話
029-263-3331(代)
事 業 所
〒315-0073 茨城県かすみがうら市西野寺730-17(石岡センター(石岡営業所)、石岡工場、花きセンター)
〒369-0201 埼玉県深谷市岡3173(岡部工場(埼玉営業所))
〒366-0814 埼玉県深谷市大谷2863(深谷工場)
〒067-0052 北海道江別市角山426-1(北海道工場) 他
創  業
明治42年
設  立
昭和52年
資 本 金
3,000万円
業  種
業務用野菜等の加工と原料販売
従 業 員
430名(パート含む)

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